SUBMERGED: THE HUNLEY/アメリカ
監督:クリストファー・フォーブス
<主なキャスト>
ウィリアム・アダムス
ジェジベル・アナット
ジェリー・チェッサー
ネイサン・オクスナー
エディ・ロジャーズ
……etc
『潜水艦ハンリー~史上初めて敵艦を撃沈させた潜水艦~(2022年)』の作品解説
『潜水艦ハンリー~史上初めて敵艦を撃沈させた潜水艦~(2022年)』のストーリー
『潜水艦ハンリー~史上初めて敵艦を撃沈させた潜水艦~(2022年)』の感想
2022年に制作されたアメリカ映画。アメリカ南北戦争最中の1864年2月17日、サウスカロライナ州チャールストン港外で海上封鎖にあたっていた北軍の木造蒸気帆船フーサトニック号を、南軍の人力推進型の潜水艦H.L.ハンリーによって撃沈された史実を題材にしている。
アメリカ大陸の東海岸の13州がイギリスから独立(1783年)してから約70年。アメリカは時間をかけてフランスやスペインから買収したり、併合したりしながら西へと国土を広げ、大陸国家としての性質を強めていく。その中で、北部と南部では産業構造や政治体制が異なり、早い時期から対立が始まっていた。寒冷な北部は農業に不適だったため商工業が中心で、温暖な南部では大規模な農地で綿花や煙草などの栽培が主な産業であった。南部では労働力の大半を黒人奴隷に頼っていた。この頃のアメリカ合衆国では奴隷制は各州の判断に委ねられていたが、北部の企業家らの中では、奴隷は労働者の向上意欲を削いで近代化の妨げになるという考えが広まっていた。奴隷制を認める南部(奴隷州)と認めない北部(自由州)とに分かれ、1820年には北緯36度30分以北には奴隷州をおかないと定めたミズーリ協定が結ばれた。この協定は僅差で下院を通過したが、この決定に引退していたジェファーソン元大統領はアメリカの国家分断の未来の端緒となりかねないと憂慮していた。
ミズーリ協定が結ばれた頃のアメリカの州は22州で、自由州と奴隷州は11州ずつで均衡していた。それから時を経て、アメリカはアメリカ・メキシコ戦争(1846年~1848年)でカリフォルニアを割譲させ、西海岸に到達する。当時のアメリカの州は34あり、北部の自由州が19、南部の奴隷州が15と数の上では均衡し、対立は激しさを増していた。北部と南部の対立は奴隷制に対する認識の違いによるものばかりでなかった。対立の種は、例えば、工業化を推し進める北部はイギリスなどからの輸入品に制限をかける保護貿易を求めていたのに対し、綿花などをイギリスなどに輸出して大きな利益を上げていた南部は自由貿易を求めるなど、様々な所にあった。1954年にミズーリ協定が破棄され、カンザス・ネブラスカ法が制定される。これによって、自由州か奴隷州かは州の住民が決められることとなった。同じ年、奴隷制反対論者を中心に、共和党が結成される。1860年11月、共和党のエイブラハム・リンカーン(1809~1865年)が第16代アメリカ大統領選挙にされたことによって、その対立は頂点を迎えた。
妥協の試みがなかったわけではないし、リンカーンが奴隷解放を明言したわけではなかったが、南部の警戒感は最高潮に達した。12月にサウスカロライナ州が先陣を切ってアメリカ合衆国から脱退を宣言する。これに続きミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州も脱退を宣言。この南部の7州は2月にアメリカ連合国の建国を宣言。ジェファーソン・デヴィスを初代大統領に選出した。3月にリンカーンがアメリカ合衆国大統領に就任。アメリカ連合国に加盟した各州の要塞は連合国の支配下に置かれたが、サウスカロライナ州のサムター要塞の守備兵は撤退を拒否し、あくまでもアメリカ合衆国に忠誠を誓った。サムター要塞は戦略上さして重要ではなかったが、リンカーン大統領は、合衆国に忠誠を誓った将兵のために支援を決定する。4月12日から14日にかけて起こったサムター要塞での戦いが南北戦争の発端であるとされる。リンカーン大統領は合衆国に残った各州にも軍事的な支援を求めたが、南部の諸州の反感を買い、5月までにバージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州もアメリカ連合国に加わった。もっとも、全ての奴隷州がアメリカ連合国に加わったわけではなく、デラウェア州、ケンタッキー州、メリーランド州、ミズーリ州、バージニア州の西部(現ウエストバージニア州)は合衆国に残った。リンカーン大統領はそれらの奴隷州への対応にも苦慮することになる。
南北戦争は4年も続いたアメリカ合衆国の歴史上、唯一にして最大の内戦である。リンカーンが大統領に就任したとき、アメリカ合衆国(以後は北部、または北軍と呼称する)もアメリカ連合国(以後は南部、または南軍と呼称する)も戦争ができる状況にはなかった。とはいえ南部は、工業力や経済力や人口などで北部に大きく劣っていたうえ、戦争となれば一から軍を作り上げなければならない。リンカーン大統領は当初は短期間で勝利を収められると考えていたという。しかし、正規軍であるアメリカ合衆国陸海軍の士官約300名が職を辞して南軍に身を投じ、北軍を苦しめることになる。戦いは東部戦線と西部戦線の広範囲にわたり、大きな戦いだけで50を数えた。エンフィールド銃やスペンサー銃といった最新のライフル銃や最大射程2000ヤード(約1800m)の大砲などが戦場に持ち込まれ兵士たちの頭上には鉄の雨が降り注いだ。最終的に両軍合わせて60万人を超える戦死者を出す凄惨なものとなった。
サムター要塞での戦いをはじめ、1861年の7月の第一次ブルランの戦いなど、緒戦でリー将軍などの名将を有した南軍が立て続けに勝利したことで戦争は長期化する。リンカーン大統領は、戦争勃発直後からこの内戦に乗じてアメリカを分裂させようとする外国勢力の武器や支援品の搬入を防ぎ、南部の資金源を断つために海上封鎖を行った。これが後の北軍の勝利の一因になったと見る歴史家もいる。1862年9月のアンティタムの戦いで南軍が敗北した頃から戦局は北軍優位に変化していく。南軍は物量に勝る北軍に次第に押されるようになり、戦場は南部へと移行していく。そんな中、リンカーン大統領は1863年1月に反乱に加わった州の奴隷を解放するという「奴隷解放宣言」を出す。前年9月に予備宣言が出されており、これは反乱に加わっている州に速やかに帰順するようにという警告であったが従う州はなかった。リンカーン大統領が奴隷解放宣言を出したことで、この戦争の目的はアメリカ合衆国の分裂を防ぐ為から奴隷を解放する為のものに変わった。南部の黒人の間にも動揺が広がり、内外の世論――特に、すでに奴隷制度を廃止していたイギリスの世論に大きな影響を与え、イギリスの南北戦争への介入への牽制とした。
1863年5月、チャンセラーズヴィルの戦いに勝利した南軍のリー将軍率いる北バージニア軍は、北部の物量に押されてじり貧となりつつあった戦局をひっくり返すために、北部への侵攻を開始する。侵攻を阻止しようつする北軍との幾度かの会戦が起こった。1863年7月、南北戦争最大の激戦とされるゲティスバーグの戦いが起こる。両軍合わせて16万5千を超える兵が集結。3日間にわたる戦いの末に北軍の勝利に終わるがリー将軍がバージニアに逃げるのを許してしまう。11月にゲティスバーグの激戦地の跡でリンカーン大統領は有名な「人民の人民による人民のための政治」という演説を行い民主主義の理想を掲げた。1863年の終わり頃までに北軍はミシシッピ地域をほぼ制圧した。しかし戦争はまだ続く。1864年11月から12月にかけて北軍のシャーマン将軍がアメリカアトランタから南東約400キロ先の港町サバナまで、鉄道などのインフラや産業基盤、個人の資産――それら南部の物質的・精神的な支柱を徹底的に破壊しながら進撃した。後に「シャーマン将軍の海への進撃」と呼ばれる。この進撃によって、北部の勝利はゆるぎないものとなった。同時に、後の世界大戦で現実のものとなる総力戦の時代を予想させる進撃となった。
1865年4月2日に南部の首都リッチモンドが陥落する。同月9日にはリー将軍が北軍のグラント将軍に降伏。凄惨な内戦はようやく終わりを告げた。再びアメリカ合衆国へと復帰した南部は軍政下に置かれ、南部の人たちは反発、対立が続くことになる。解放されたはずの黒人に対しての人種差別も、その後も根強く残ることになった。1865年3月に二期目に入り戦争の終結を見届けたリンカーン大統領は、戦争終結から数日後の4月15日、南部支持者によって射殺され、戦後のアメリカ合衆国のためにその力を振るうことはできなかった。
アメリカ南北戦争最中の1863年10月。サウスカロライナ州チャールストンの町は北軍によって海上封鎖されていた。南軍のボーリガード将軍の下に、潜水艦ハンリーが訓練中に沈没したという報告が届く。乗組員のほとんどが死亡し、生き残ったのは1人だけだった。ハンリーを北軍の海上封鎖を突破する希望と考えていた将軍は、ハンリーを引き上げて改修するとともに、生き残ったディクソン大尉を艦長に乗組員の再訓練を行うことにする。
ハンリーを引き上げ、1864年2月の再度出航の計画を立てたはいいが、海上封鎖のために改修に必要な物資が入手できない。そこで、密航者との取引を行うことになる。その仲介者として白羽の矢が立ったのは娼館を営み、裏社会にも顔が広いアナベルだった。さらに、乗組員の補充やチャールストンの町に潜入しているスパイを探し出すのも急務だった。ディクソン大尉はそれらの協力もアナベルに求める。アナベルは娼婦たちにも、海軍や封鎖について興味を示す不審な者に注意を払うように伝える。
潜水艦ハンリーについての情報は最高機密だが、人の口に戸は立てられない。乗務員が家族に漏らした言葉から、潜水艦での海上封鎖突破の作戦が立てられていることが人伝に広まっていく。ランプキンと娘のロレインが営むバーに、ドイツ人のハンスという航海士が訪れる。そこにやってきた中年女性が潜水艦が任務で出るらしい、と話してしまう。その情報に不自然なほど食いつき、ランプキンに港への案内を頼むハンス。それからしばらくして、チャーストンの沖合に停泊する軍艦に、潜水艦の情報が寄せられていた。
潜水艦の歴史は意外に古く、アメリカ独立戦争(1775年~1783年)の時には人力推進の一人乗り潜水艦タートルが実戦投入されたという。この映画の“主役”である潜水艦H.L.ハンリーの名は、開発者のホレス・ローソン・ハンリー(1823年~1863年)にちなんでいる。海洋技師であったハンリーは駆動機の小型化を目指したが蒸気機関や電気モーターなどでは実用化に至らず、全長約12.2メートルの船体を8人の乗組員が並んでクランクを手で回して推進する仕様となった。1864年2月17日、チャールストン沖で任務にあたっていた北軍の軍艦フーサトニック号に潜水航行して近付き、外装に爆弾を仕掛けることに成功した。その爆発によってフーサトニック号は沈没し、5人が死亡した。「歴史上初めて、軍艦を撃沈させた潜水艦」として海戦の歴史に大きな足跡を残した潜水艦H.L.ハンリーだったが、作戦の成功後、帰還することなく乗組員8人全員が死亡した。
本作はアメリカ南北戦争での史実をモチーフにした作品。たまたまAmazonPrimeVideoでタイトルをみかけて視聴したものだった。低予算のインディペンデント映画だったらしく、作品の制作の経緯や公開などについては全く分からなかった。アメリカ南北戦争は、科学技術の進歩が新しい戦争の時代を切り開いたことを印象付けた戦争だった。鉄道は大量の兵站輸送を可能にし、電信技術の発達はリアルタイムで戦況の把握を可能にし、指揮系統の構築にも変化を与えた。後装式連発銃 (レバーアクションライフル)やガドリング機関銃、装甲艦などの新兵器が実戦投入された。潜水艦も新兵器の一つだったが、まだまだ現代の潜水艦とは似て非なる代物だった時代。映画で描かれたように酸欠と戦いながらクランクを回していたんだろうな、と思うとその結果も含めて感慨深いものがある。
映画自体は正直、大学生の自主製作映画だろうか、と思ってしまった。盛り上がりも何もない会話が延々と続き、画にも動きがなく単調で、特撮もチープで緊張感を感じない。祭りのイベントか何かを撮影したとおぼしき、銃兵や騎兵が出てくる場面もあるがその中ではスマホを取り出している人がしっかり写り込んでいるお粗末ぶり。予算のことなどがあり、なかなか思った通りにできなかったのだろうが、それでも他にやりようがあったのでは? と思ってしまう。とはいえ、知られざる歴史の偉業と悲劇を題材にした作品として、興味深く観た作品だった。
南北戦争の時代を背景に、戦場へ出征して脱走兵となった男と、彼の帰りを待ちながら生きる力を身に着けていく女の愛の物語。
マーガレット・ミッチェル原作の歴史的名作映画。南北戦争前後のアメリカ南部を舞台に、戦争で全てを失いながらも激しく生きた女の物語。
南北戦争に従軍した作家のアンブローズ・ビアスの実体験を基にしたという不条理な戦場を描く3編の物語。