日本
監督:木村大作
原作:浅田次郎『劒岳〈点の記〉』(文春文庫)
<主なキャスト>
柴崎芳太郎:浅野忠信
宇治長次郎:香川照之
生田信:松田龍平
木山竹吉:モロ師岡
宮本金作:螢雪次朗
岩本鶴次郎:仁科貴
山口久右衛門:蟹江一平
小鳥烏水:仲村トオル
岡野金治郎:小市慢太郎
林雄一:安藤彰則
吉田清三郎:橋本一郎
木内光明:本田大輔
柴崎葉津よ:宮崎あおい
玉井要人:小澤征悦
牛山明:新井浩文
宇治佐和:鈴木砂羽
大久保徳昭:笹野高史
岡田佐吉:石橋蓮司
矢口誠一郎:國村隼
佐伯永丸:井川比佐志
行者:夏八木勲
古田盛作:役所広司
……etc
キーワード『陸軍参謀本部陸地測量部による剱岳初登頂(明治40年(1907年))』
2009年6月に劇場公開された新田次郎の同名小説の映画化作品。日本映画界を代表するカメラマンとして知られる木村大作が初めて監督を務めた作品としても知られる。明治の終わり頃、日本地図の完成を急ぐ帝国陸軍の命を受け、これまで登頂に成功したことがない剱岳の踏破に挑む男たちの信念と勇気、絆を描いた作品。
飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰に属する標高2,999mの剱岳(富山県)には、「空海(弘法大師)が草鞋3000足を使っても険しすぎて登頂できなかった」という伝説がある。氷河によって削られた険しい岩峰が連なり、多くの一流登山家が命を落とした、日本国内で一般登山者が立ち入れる中でも最高レベルで危険度の高い山だとされる。日本では数少ない氷河の残る山であり、「岩と雪の殿堂」などとも呼ばれる険しく美しい剱岳の近代登山が始まったのは近年になってからである。古来から立山修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり山そのものが不動明王の化身として信仰を集めてきた。立山信仰では立山連峰の他の頂から参拝する山であり、登ることは許されない山であった。
記録が残る中での最も古い登頂は1907年(明治40年)、陸軍参謀本部陸地測量部の測量官、柴崎芳太郎が率いた測量隊によるものであった。ただし、これ以前にも数例の登山の記録や伝説が残っている。日本地図の空白地帯となっていた越中剱岳一帯の三等三角網完成を命じられた柴崎は、1906年(明治39年)に9月に剱岳の下見を行った。翌1907年(明治40年)7月、山案内人の宇治長次郎、助手の生田信らと共に剱岳の登頂を決行する。登路を探していた宇治長次郎は劔岳東面の雪渓を進むルートを選択する。この雪渓は2年後に同じ宇治長次郎のガイドによって民間人と初めての剱岳登頂に成功した日本山岳会が、その見事なガイドぶりを称えて「長次郎谷」「長次郎雪渓」と呼ぶようになったと言われる。初登頂日は様々な見解はあるが7月13日だったと言われている。測量隊は登頂には成功したものの、重い標石や櫓を立てる材料を上げることができなかったため三等三角点の設置を断念し、標石の必要がない四等三角点を置いた。基準点の設置や測定の記録である「点の記」の作成は三等以上という既定のため、「点の記」は作成されなかった。
登頂に成功した測量隊は、山頂で「錫杖頭」と「鉄剣」を発見した。近くにの岩屋には焚火の痕が残されていたという。当時の鑑定では奈良時代の終わりから平安時代初期のものと考えられた。修験者や修行僧の物であるのは明らかだが、記録は残っておらず、いつ、誰が、何のために置いたのかなどは分かっていないという。それらの遺物は柴崎が持ち帰り保管していたが、その死後、富山県「立山博物館」に寄贈され収蔵されている。1959年に「錫杖頭」が国の重要文化財に指定された。
明治39年(1906年)、日本は国防のために日本地図の完成を目指していた。陸軍参謀本部陸地測量部の測量官、柴崎芳太郎は最後の空白地点として残された「越中剱岳」登頂の命令を受けて準備を始める。その頃、一般の登山愛好家による「日本山岳会」という組織の活動が目立つようになっていた。柴崎には、剱岳の初登頂という栄誉も持ち帰るように命じられる。柴崎は、2年前に登頂を目指したが断念した先輩の古田の元を訪れる。古田はその時に案内人を務めた地元の宇治長次郎という男を紹介する。柴崎を長次郎は富山駅で初めて顔を合わせた。剱岳は立山信仰の対象の重要な山である。地元の協力は得られないかもしれないという不安があったが、長次郎の紹介で地元の村の顔役に会うと、人員の供出は出来ないが資材の調達など出来る限りの協力をするという約束を取り付けることができた。
柴崎と長次郎は剱岳の下見を行った。どのルートも最後は垂直に近い厳しい道なき道を進まなければならない。どのルートを進むか結論は出せなかったが、厳しい自然の中に身を置く時間を共にし、柴崎と長次郎の間には絆が深まっていた。その下見の中で、柴崎は信仰の対象である剱岳の案内を頼んだことで、長次郎に迷惑をかけているのではないかと危惧する。下見の中、柴崎は日本山岳会のメンバーの小島と岡野に遭遇する。小島は西洋の優れた登山用具を披露して見せる。柴崎はそんな小島に、所詮は遊びだと忠告する。そんな柴崎に小島もライバル心を剥き出しにして返した。剱岳の冬の訪れは早く、下見を断念して下山することにする。下見の途中で出会った行者を置いていけないという長次郎。洞窟の中で祈っていた行者は長次郎の説得を一度は断るが、彼の真摯な態度に折れて一緒に下山する。行者は二人に「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という修行僧の間に伝えられているという言葉を送る。
翌年、春の訪れと共に、測量隊が結成された。柴崎と、助手には若手の生田とベテランの木山。長次郎と、現地で雇った人足が三人。剱岳では27か所の三角点を立てる計画だった。そんな測量隊の所に長次郎の息子の幸助がやってくる。信仰の対象である剱岳への登頂を止めさせようと来たのだが、長次郎は聞き入れず登頂を開始する。しかし、ここに至っても登頂のルートを決めかねていた。春になっていたが測量隊は剱岳の厳しさに直面する。雪崩によって生田が生き埋めになったり、柴崎、長次郎、生田の三人が吹雪の中、帰路を見失い立ち往生したり、生田が足を負傷して一時離脱するなどトラブルは頻発する。しかし、それらの危機を乗り越えるたびに絆を深めていった。日本山岳会も富山へと到着する。記者の前で剱岳登頂に自信を見せる小島。しかし、小島も剱岳の登山ルートを探す中で、測量隊の痕跡を見つける。登ることが目的の自分たちに対して、登った後から仕事が始まる測量隊との違いを考える。
足の怪我が癒えた生田が測量隊に合流する。生田は預かってきた柴崎に届いた古田からの手紙や、幸助から受け取った長次郎への手紙や差し入れなどを持っていた。そして、生田は残してきた身重の妻が出産し父親になったことを報告する。良い報告に歓喜するのもほどほどに、再び測量隊は作業を始める。そんな測量隊の所に日本山岳会の小島が近づいてきて柴崎と言葉を交わす。小島は、柴崎が言う通り自分たちがやっているのは遊びでしかないのではないかと思い始めていた。そんな小島を前に、柴崎もまた、古田からの手紙にあった地図を作る意味を思い返した。柴崎と長次郎は、行者が言っていた「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という昔から伝わる言葉の意味を考え、登頂ルートを一度は危険すぎると諦めた雪渓を超えていくルートに定める。
明治40年、日本地図の空白を埋めるため前人未到の頂に挑んだ男たちの実話を元に、空撮やCGに頼らずに撮影された目を見張るような立山連峰の雄大で美しい風景とともに描いた作品。測量隊とほぼ同じ行程を辿り「これは撮影ではなく行である」と監督が語ったという危険と隣り合わせで過酷な撮影を通して描かれたリアルな厳しい自然と、淡々としながらも使命感を胸に苦難に立ち向かう中で絆を深めていく男たちが印象を残す。映画を見ているだけでも大変な撮影であるのはうかがえる。当然100年前の測量隊は現代よりも装備も劣り、現代の登山家よりはるかに過酷な状況の中で登頂を行ったのは想像に難くない。危険を伴いながら前人未到の地に足を踏み入れ、点を残すという意義。国家のため、民衆の為――「使命」という言葉の重さを改めて感じさせられる。人間の誇りと自然への畏敬がしっかりと描かれた良作だと思う。