ファイナル・エンペラー〜悲劇の皇帝〜(2003年)
DATE
De Reditu/イタリア
監督 : クラウディオ・ポンディ
<主なキャスト>
エリア・シルトン
ロドルフォ・コルサート
ロミュアルド・クロス
ロベルト・エルリッカ
……etc
【作品解説】
日本では劇場非公開のイタリア映画。15世紀の終わりにイタリアの修道院で見つかったという古代ローマ帝国末期のローマ総督ルティリオ・ナマツィアーノの手記のような詩文「De reditu suo(帰郷)」が原作となっている。英語のタイトルも「The Voyage Home(帰還の旅)」なのだが、販売元の戦略故か邦題やパッケージはまるで歴史アドベンチャーのようだが、内容はいたって真面目な歴史劇である。
【De reditu suo】
西ローマ帝国の時代。5世紀初めごろに活躍したと考えられているルティリウス・クラウディウス・ナマティアヌスは、西ローマ帝国の政治家であり詩人であった。ガリア(現在のフランス)出身の貴族で、ホノリウス西帝(在位393〜423年)の時代、西ローマ帝国の要職をキリスト教徒が占める中で異教徒でありながら上級行政官やローマ総督のような要職を歴任した。この頃の西ローマ帝国はすでに衰退著しく、外敵から国土と国民を守ることもおぼつかず、410年には西ゴート族によるローマ略奪の悲劇も起こった。ルティリウスがローマ総督となったのは414年のことであった。
417年秋、ガリアの所領が蛮族の侵入によって荒廃したことを知るとローマ市を離れ、海路でガリアへと向かう。この沿岸航海の記録をラテン語の詩文「De reditu suo(帰郷)」に残した。1493年にイタリアの修道院で発見され、その写本が現在にも残されている。2巻に渡って書かれた詩文であったが、その多くが失われており、残っているのは700行ほどだという。この詩文はルティリウスの旅の記録に留まらない。当時の西ローマ帝国と中央政界である元老院の政治的・道徳的な衰退や、西ゴート族などの蛮族の脅威にさらされ、もはやかつての栄光や偉大だった記憶を失い退廃していくローマの姿などが描写されている。
【ストーリー】
紀元5世紀の初め頃。西ゴート族の侵入を受けた西ローマ帝国は、衰亡の一途を辿っていた。西ゴート族によって西ローマ帝国の都市ローマ――物語の頃は首都ではなかったがそれでも帝国の象徴的な都市であった――は蹂躙され、破壊・略奪が横行していた。この危機に対し、無能な皇帝はなんら有効な手を打てず、危機感の欠けた貴族たちはただ自らの保身に走るのみだった。
この状況を憂いたローマ市長官のルティリオは、共に立ち上がり、戦う仲間を求めて故郷ガリアに向かう。この時代、政府の要職を占めているのはキリスト教徒たちだったが、ルティリオは旧来の多神教徒だった。ルティリオの旅の目的は、キリスト教徒による支配体制を打破し、新皇帝を打ち立て、栄光に包まれたローマを取り戻すことであった。
陸路は荒廃し、海路を進むしかない。海と陸を行き来しながら、旧友たちを頼りながら故郷へと向かうが、その旅路は困難に満ちたものだった。ピサの地ではプロタディオと再会する。プロタディオはすでに老い、かつての気力を失っていた。プロタディオは、ルティリオにわずかな遺産を譲り、後事を託して自死を選ぶ。それはまるでローマの終焉の運命を暗示しているかのようであった。
【感想】
クライマックスがないのがクライマックスというのか……プロタディオの自殺などショッキングなシーン、展開が続く割りにあまりにも抑揚なく淡々としすぎてどこでどう盛り上がればいいのか分からない、というのが最初の感想だった。主人公が行く先で出会い、軽蔑の対象としている人々。眼をつむり、耳をふさぎ、小さな世界に逃げ込んで現実を見ようとしない人々。主人公のルティリオのそういう感情があまりに表に出てこず、ただ冷静に人間分析みたいなことばかりしているものだから、物語に抑揚がなくなってしまうように思う。
史実では476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって皇帝が追放され、西ローマ帝国は滅亡した。しかし、4世紀に始めっていたゲルマン人の大移動の波が西ローマ帝国領内にも波及し、が止めをさした。外敵に食い尽くされ、緩慢な死を余儀なくされていく帝国。その終わりの始まりの時間に、一人、抗おうとするルティリオを悲しく感じてしまう。しかし、国の死なんてそんなものなのかもしれない。始まりは気づかず、気づいたときは致命傷を負っている。