復活(2016年)
DATE
RISEN/アメリカ
監督 : ケヴィン・レイノルズ
<主なキャスト>
クラヴィアス : ジョセフ・ファインズ
ルシウス : トム・フェルトン
ピラト総督 : ピーター・ファース
イエス : クリフ・カーティス
マグダラのマリア : マリア・ボト
……etc
【作品解説】
日本では2016年5月に劇場公開された。旧約聖書における「イエスの復活」をイエスを処刑したクラヴィアスの視点から描いた歴史・宗教ドラマ。
【イエス=キリストの復活(旧約聖書)】
救世主として、神の子として、キリスト教の信仰の対象となっているイエスは古代イスラエルが古代ローマの支配下のユダヤ属州だった紀元前4年頃に生まれた。古代イスラエスではイエスは珍しい名前ではなかったのでナザレのイエスなどとも呼ばれる。イエスはユダヤ教徒だったがユダヤ教の戒律主義や形式主義を批判し、神の下での平等や他人を愛することを説き、貧しい民衆から支持を集めた。イエスはユダヤ教を否定したわけではなかったが、イエスこそメシア(ヘブライ語で救世主の意味、ギリシア語でキリスト)であると信じ、勢力を増すことになった。イエスの勢力が大きくなると、ユダヤ人支配者層やユダヤ教の指導者たちからは危険視されることになった。
自分たちの権威が脅かされるのを恐れたユダヤ教の大祭司らは兵を使いイエスを捕らえ、イエスが自らをメシアと認めたことを神への冒涜であるとして処刑しようとした。しかし、ローマの支配下にあるユダヤ属州のユダヤ人支配者にはイエスを処刑する権限はなかった。そこで、ユダヤ属州総督ピラトのもとに連れて行き、判決を求めようとした。ナザレのイエスと話して彼を無罪と感じたピラトは、イエスを釈放しようとしたが、ユダヤ教の大祭司らに扇動された民衆がイエスの処刑を望み、暴動や治安悪化に繋がることを怖れたピラトはイエスの処刑を認めた。イエスは鞭打ちにされ、重い十字架を刑場まで背負って歩き、十字架に磔にされた。十字架刑は古代ローマでも反逆者に課せられる最も重い刑罰であったという。イエスが息絶えた後、イエスの信奉者で金持ちのヨセフという男が、イエスの死体の引き取りを望み、認められた。
イエスの遺体には香油が塗られ亜麻布で包まれて墓に納められた。墓の前には大きな岩が置かれた。ユダヤ教の大祭司は、遺体がイエスの弟子たちによって盗まれ、利用されることを防ぐために2人の番兵を置いた。イエスが処刑されて3日後。イエスと共にいたマグダラのマリアらがイエスの遺体に香料を塗るために墓を訪れた。そこに大きな地震が起き、稲妻のように輝く天使が現れ、イエスの復活を告げる。墓を守っていた2人の番兵は、恐れおののき倒れて死人のようになってしまった。天使はマグダラのマリアらに、「あの方の復活を弟子たちに知らせるように。そしてあのお方がガラリアでお会いになると伝えなさい」と告げた。さらに、弟子たちの所に向かうマグダラのマリアたちの前にイエス本人が現れ「おはよう」と言い、「弟子たちにガラリアに行くように伝えなさい。そこで私と会うことになる」と言ったという。
マルコによる福音書でもヨハネによる福音書でも、イエスと最初に会ったのはマグダラのマリアであったという。ヨハネによる福音書ではイエスと再会したマリアはイエスに触れようとしたがイエスはそれを制したという。イエスは、「自分はまだ父のもとに上がっていないから」と、近く昇天することを弟子たちにも伝えるように言ったという。イエスは、弟子たちの家の中にも現れたという。鍵がかかっていたにもかかわらず、気が付くと部屋の中で立っていたというイエスは、弟子たちに息を吹きかけ「精霊を受けなさい。あなた方が赦せば、誰の罪でもその罪は赦される」と言ったという。また、その場におらず、その話を信じなかった弟子の一人は、十字架にかけられた傷を見なければ信じられないと言ったという。8日後、再びイエスは現れ、その弟子に傷を見せて「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語ったと伝えられる。
使徒言行録によるとイエスは復活してから昇天するまで40日間、弟子たちに神の国の話をするなどして過ごした、という。40日目に弟子たちに最後の教えを説くと、弟子たちの前でオリーブ山の山頂から天にのぼっていった。弟子たちの前で、イエスは雲の間に消えて行った。マタイによる福音書によると、天に上げられたイエスは神の右の座についたと伝えられる。神の右の座に座る者とは、神の全権を委任された者であるという。
【ストーリー】
ユダヤの地をローマが支配するようになってから30年余り。独自の宗教観を持つユダヤ人の地は、ユダヤ教の祭司長を頂点に危うい均衡を保っていた。第10軍団の司令官、クラヴィアスは冷静沈着な優れた指揮官であり、勇敢な戦士であった。反乱を制圧したクラヴィアスは、帰還して体中についた血を流す間もなくユダヤ総督のピラトに呼び出される。ピラトからの次の指示は、救世主を名乗る指導者の処刑に立ち会うことだった。ユダヤ人の支配者層やユダヤ教の指導者たちは、その指導者を救世主を名乗った罪で処刑しようとしていた。ピラトはもうじきローマ皇帝が視察に来るため事態を混乱させたくはなかった。ピラトはクラヴィアスの配下にルシウスという若い男をつける。ルシウスはローマ兵の鑑のようなクラヴィアスに羨望にも似た眼差しを向ける。
クラヴィアスがルシウスとともに刑場へ向かおうとすると、突然大きな地震が起こる。それは壁が裂けるほど大きなものだった。刑場へ行くと、すでに3人の罪人が十字架に磔になっていた。クラヴィアスが現場を監督していた百人隊長に聞くと、真ん中で磔になっていたナザレ人が、地震の後、「完了した」と一言呟いたという。十字架刑は最も過酷な刑罰で、時間をかけて死に至らしめるものである。クラヴィアスは野次馬の中で悲鳴を上げるナザレ人の母親らしき女を哀れに思い、槍で一突きにして刑を終わりにした。ナザレ人が磔にされていた十字架には救世主イエスと名前があった。イエスの遺体は、彼の裕福な弟子が引き取った。
全て終わったはずだったが、クラヴィアスはピラト総督から呼び出されて、イエスの遺体を燃やすようにと言われる。イエスは自分の死から3日後に復活する、と予言していた。ユダヤ教の祭司長は、イエスの弟子たちがイエスの遺体を盗み出して、その教えを宣伝するのに悪用すると思っていた。クラヴィアスは墓の中に遺体があることを確認してから墓を封印し、2人の部下に寝ずの番を命じた。ところが、翌日、イエスの遺体は忽然と消えていた。2人の番兵も姿を消していた。ピラト総督に呼び出されて、その事実を聞かされるクラヴィアス。そこにユダヤ教の祭司長が訪れ、2人の番兵を保護していると言う。番兵は居眠りしてしまい、罰を受けるのが怖ろしくて姿を消したのだった。
ピラト総督はクラヴィアスにイエスの遺体の捜索を命じる。ルシアスとともに調査を始めたクラヴィアス。番兵の一人は弟子たち数人が遺体を盗み出し、相手の数が多くてどうしようもなかったと言うが、明らかにその証言は嘘ばかりだった。弟子の一人を見つけ出し、話を聞く。その弟子は、イエスが救世主だと信じ切っているが、イエスと同じ目に遭うことは恐れているようだった。彼は、イエスの王冠だと茨の環を置いて去っていく。盲目の老婆や、マグダラのマリアなどを捕らえ話を聞くも、なかなか要領を得ない。巷ではイエス復活の噂がまことしやかに囁かれている。クラヴィアスは傷口の良く似た死体をイエスのものとして焼くようにピラト総督に進言する。どうせもう、遺体は腐敗して原形をとどめていないからだ。ピラト総督は多くの墓を暴いたクラヴィアスを非難し、夜までにイエスの遺体を見つけるようにと言う。番兵のうち、前回話を聞けなかったもう一人に酒場で接触する。番兵は酒を飲んでいたことは認めつつ、そこで遭遇した奇跡――悪夢のような出来事を語る。イエスの弟子を探すクラヴィアスは、遂に弟子たちが集まっているところに飛び込む。そこで、クラヴィアスが見たのは、あの時確かに刑場で死んだはずの男だった。
【感想】
イエス=キリストの復活の真相を、ローマ帝国の兵士の目線から描いた作品。聖書の物語をベースにした歴史・宗教物だが、イエスの遺体の行方を巡る探偵物の趣もある作品。イエス=キリストの生涯や、受難や奇跡を描いた作品は多くあるが、イエスの信奉者ではない者を主役に、地道な調査で真相に迫っていくミステリータッチな描き方は新鮮に感じた。
とはいえ、全体的に退屈な作品という印象は否めない。磔の生々しさや遺体の描写なども衝撃的に感じたが、全体的に華がない作品という印象を受けた。キリスト教徒向けの聖書物語に留まらない作品、と感じただけに、最後に描かれるクラヴィアスの変化が、ローマ帝国との決別で終わったのも、何だかキリスト教徒に迎合している気がして気に入らなかった。少なくとも、実際のイエスは、ユダヤ教のこともローマ帝国のことも、批判はしたかもしれないが否定はしなかったと思うのだが。