アメイジング・グレイス(2006年)
DATE
Amazing Grac/イギリス
監督 : マイケル・アプテッド
<主なキャスト>
ウィリアム・ウィルバーフォース : ヨアン・グリフィズ
バーバラ・スプーナー : ロモーラ・ガライ
ウィリアム・ピット : ベネディクト・カンバーバッチ
ジョン・ニュートン : アルバート・フィニー
トーマス・クラークソン : ルーファス・シーウェル
オラウダ・エキアノ : ユッスー・ンドゥール
チャールズ・ジェームズ・フォックス卿 : マイケル・ガンボン
バナスター・タールトン : キアラン・ハイン
……etc
【作品解説】
日本では2011年3月に劇場公開されたイギリス・アメリカの合作映画。18世紀終わりから19世紀初めのイギリスを舞台に、奴隷制の廃止に尽力した政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースの半生を映画化した作品。2007年に、イギリス帝国の全てにおいて奴隷貿易禁止法が可決されてから200年となることを記念して制作された作品。
タイトルとなっている「アメイジング・グレイス」は、誰しも一度は聞いたことのある名曲。日本では「すばらしき恩寵」などと訳される。1770年代に、敬虔なクリスチャンでありながら、黒人貿易に手を染めたジョン・ニュートンが、そのことへの深い悔恨と懺悔、赦しを与えてくれた神への感謝を込めて讃美歌として作詞したものだという(作曲者は不明)。
【ウィリアム・ウィルバーフォース(1759年〜1833年)】
奴隷貿易・奴隷制度の廃止に尽力したイギリスの政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースは1759年8月にイギリス東海岸近くのハルで生まれた。ウィルバーフォースの家族はウィリアムの祖父の代にバルト海の交易で莫大な富を築いていた。若い頃に福音主義(教会や聖職者の言葉ではなく、聖書だけを信仰の拠り所にするべきという信仰のあり方)に触れた。1776年にケンブリッジ大学に入学。そこで、後のイギリス首相ウィリアム・ピットと出会い、友情を築いた。ウィリアム・ピットは、ウィリアム・ウィルバーフォースと同い年だったが、1773年に14歳で入学した神童であった。
ウィリアム・ウィルバーフォースは21歳の時に下院議員に当選し、現在の保守党の前身であるトーリー党の政治家として様々な政策議論に参加した。ウィリアム・ピットも同じ年に下院議員に初当選し、1783年に24歳で首相となった(在任期間:1783年〜1801年、1804年〜1806年)。ウィリアム・ウィルバーフォースは、重要な支援者となった。聖職者のジョン・ニュートンと知り合い、彼の元奴隷貿易船の船長という立場から奴隷の悲惨な境遇を知り、その調査を始めたのは1785年のことだったという。1787年に奴隷貿易廃止協会が設立されるとウィリアム・ウィルバーフォースも参加して、奴隷貿易廃止法案を議会に提出した。奴隷貿易は、イギリスに莫大な富をもたらしていた。イギリス領ジャマイカなど西インド諸島での砂糖栽培に大量の労働力が必要だった。イギリス世論は17世紀、18世紀の中頃までは奴隷貿易に関して容認か無関心であったという。しかし、その悲惨な現実が知られるようになると、18世紀終わり頃には奴隷貿易を批判する声も大きくなっていた。
ウィリアム・ウィルバーフォースを含め、奴隷貿易に批判的な仲間たちは幾度となく奴隷貿易廃止法案を提出するが、イギリス議会の中には西インド諸島の砂糖プランテーションの所有者や出資者や、港湾都市リヴァプールの富裕な商人の利権の代弁者も多く、奴隷貿易廃止法案は度々可決された。それどころか、奴隷貿易を批判するウィリアム・ウィルバーフォースたちは、キリスト教狂信者と呼ばれたり、世界戦略のライバルであるフランスに与する売国奴などと非難されたという。しかし、ウィリアム・ウィルバーフォースは議会で熱弁を振るい、奴隷船を議員たちに見せて現実を理解してもらおうという努力は着実に実を結んでいるかに思えた。しかし、この頃、フランスでフランス革命が勃発し王政が廃止された。フランス革命がヨーロッパ全域に波及すれば王家や貴族社会の立場を危うくすると考えたイギリスもフランス革命戦争に参戦することになる。ウィリアム・ピットもフランス革命には否定的であり、ウィリアム・ウィルバーフォースとの関係が悪化するようになった。そんな社会情勢の中、奴隷貿易廃止の議論は停滞を余儀なくされたが、1799に奴隷輸送船の過密状況を解消する奴隷貿易規制法が制定された。
1804年、西インド諸島のフランス領ハイチが独立を果たす。これをきっかけに、西インド諸島では奴隷の反乱が相次ぐようになっていた。1806年、首相のウィリアム・ピットが死去。奴隷貿易に反対していたウィリアム・グレンヴィルが首相となる。奴隷貿易廃止派は作戦を変更し「イギリスの国民に対しフランスの植民地への奴隷貿易を助けたり、参加したりすることを禁じる法案」を通した。この結果、イギリスの奴隷貿易の3分の2を封じることになり、奴隷貿易のうまみは失われた。1807年、イギリス議会はついにウィリアム・ウィルバーフォースが提案したイギリス帝国全てにおける奴隷貿易禁止法を可決した。しかし、奴隷貿易が廃止されても奴隷制度そのものは廃止されたわけではなく、西インド諸島の奴隷の子供も奴隷という状況は続いていた。ウィリアム・ウィルバーフォースは奴隷制度の廃止に向けてさらに精力的な活動を続けるが、1824年に重病を患い翌年議員を辞職する。1833年7月26日に奴隷制廃止法案が庶民院の第3読会を通過したことを病床で知り喜んだが、同月29日早朝に逝去した。イギリス帝国の全ての奴隷に自由を与える奴隷制廃止法が成立するのはその1ヶ月後のことだった。
【ストーリー】
1797年。イギリスの政治家のウィリアム・ウィルバーフォース(ウィルバー)は心身を病んでアヘンチンキを服用するようになっていた。長年、奴隷廃止に向けて精力的に取り組んできたウィルバーだったが、未だ実現には程遠い状況が続いていたのだった。悪夢にうなされ追いつめられる日々が続く中、ソーントン夫妻からの紹介で18歳年下のバーバラと知り合う。最初はウマの合わない2人だったが、やがて両者は共通の考えを抱いていることを知る。
遡ること15年前。ウィルバーは友人のウィリアム・ピットの紹介で奴隷廃止主義者達と知り合った。その頃のウィルバーは聖職者と政治家の道のどちらの道に進むか決めかねていた。恩師であるジョン・ニュートンという牧師に相談すると、ジョンは自身がかつて奴隷貿易船の船長だった後悔を語り、世の中を変えてほしいと懇願される。奴隷制の現実と真剣に向き合い政治の道に進むことを決意する。やがてピットが首相になるとその側近として奴隷貿易廃止運動に尽力するようになった。その甲斐あって世論は奴隷貿易廃止の機運が盛り上がっていったが、肝心の議会ではフランス革命やナポレオン戦争の影響によって経済が疲弊しており、奴隷廃止を訴える者は売国的であるとして排撃される状況が続いており、国家の反逆者のように扱われるウィルバーは疲弊し、病に伏せるようになっていた。バーバラと出会ったのはそんな頃であった。
バーバラと一晩かけてお互いの理想を話し合う。バーバラの励ましを受けてウィルバーはかつての意欲と気力を取り戻し、バーバラとの結婚を決意した。かつての仲間たちとの再会を経て、策略を練りつつ世論や議員に奴隷廃止法を訴えていくウィルバーたち。議員たちの中にも心情的には奴隷制に疑問を感じ、内心は廃止に傾いているものの地元有力者の意向を無視すれば票を失うというジレンマに陥り態度を決めかねている者も多くおり、ウィルバーの声は確実に届いていた。奴隷貿易廃止法は着実に現実味を帯びていく。
【感想】
18世紀から19世紀にかけて、イギリス帝国の奴隷貿易廃止を巡る攻防を描いた名作。真面目で真摯な歴史映画だったが、なかなか面白くお薦めの1本。アメリカでの公開は2007年2月で日本での公開は2011年になってから。派手さのない、他国の歴史伝記映画となると、配給する方も手を出しづらいのだろうか。少々残念に感じる。
内容はあまり奇をてらった感じの無い、真っ直ぐなストーリー。奴隷貿易や奴隷制度廃止に尽力する一人の政治家の半生を描いており、そこに名曲「アメイジング・グレイス」の誕生に込められた思いが絡んだ感動作である。同時に、議員は票のために世論に迎合し地元有力者におもねり、その板挟みの中で政治がなされる議会制民主主義の抱えるジレンマを描いた作品でもあったように思う。奴隷制廃止という理想と、経済政策や外国との競合という現実の狭間で揺れる攻防を通して、歴史の重みがしっかり伝わってくる映画だったと思う。